週刊文春2012年1月5日・12日新年特大号
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秋元康が作詞家になるきっかけを作ったのは、ニッポン放送・編成部長の亀渕昭信。(のちのニッポン放送社長)
1982年ごろ音楽出版の社長を秋元に紹介し、伊武雅刀、稲垣潤一、長渕剛などのヒット曲を生み出す。

秋元はその後、F1の名門チーム「アローズ」を買収した運送業者フットワークエクスプレス(のちに経営破たん)の大橋渡会長に食い込み、大橋氏の出資で映画『![ai-ou]』を企画。92年には『マンハッタン・キス』を監督。


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次に秋元康が取り入ったのは、ゲーム会社『セガ』を買収したCSK会長の大川功。
大川会長の愛人が東京に出てきたときに、その愛人の世話を秋元康の夫人(元おニャン子クラブ・高井麻巳子)がするようになり、秋元夫婦と大川会長、その愛人4人が懇意になる
秋元康はセガ・エンタープライゼスの社外取締役に就任。ゲーム機『ドリームキャスト』の宣伝担当として湯川専務の自虐CMを手がける。当時はサンフランシスコにある大川会長の別荘から会長の自家用ジェット機でラスベガスのカジノに行っていた。

セガの社運をかけたドリームキャストは大失敗。セガは苦境に陥る。その一方で秋元康は大川会長とセガの出資で『エイティーワン・エンタテインメント』という宣伝プロモーション会社を設立し、社長に就任。しかしその会社もすでに潰れている。
また、フジテレビでセガ提供の番組から「チェキッ娘」というアイドルを売り出したがこれも失敗。その前に日本テレビで「ねずみっ子クラブ」というアイドルグループを手がけるも、あっという間に消えた。

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そのあと秋元康のスポンサーになったのは元ライブドア社長の堀江貴文。
堀江が逮捕される直前の2006年1月5日には、堀江の自家用ジェットに同乗してラスベガスの高級カジノホテル「ベラージオ」のVIPルームでバカラに興じていた。秋元はライブドアとアドバイザー契約していた。

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ライブドアがフジテレビの親会社であるニッポン放送の敵対的買収に乗り出したとき、堀江の背後には秋元康がいるとみなされ、フジやニッポン放送から締め出しを受けそうになる。古いプロダクションの社長も、秋元康を快く思っていなかった。その状態で始めたAKB48プロジェクトももちろん閑古鳥状態。ある大物社長に頼み込んで劇場に来てもらい、その名前を利用するも、さらに反感を買うハメに。

テレビ局主導ではないビジネス

AKB48劇場の支配人、戸賀崎 智信が以前働いていたキャバクラは池袋駅西口にある「TARO」
店の舞台でショーがあり若いホステスたちが水着やセクシー衣装になる。客の指名やボトルを取った本数などがポイントとなり、順位を付けられてトップがセンターでスポットを集めるというAKBに似たシステムの店。
その店を辞めた後、西麻布の会員制バーに勤める。その店に関わっていたのがAKBの最高幹部
AKBのキャバクラ的発想はここから来ている。

※関連画像
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ホリエモン
「秋元さんはテレビ局を利権構造から外して儲ける仕組みを作った。カラオケなどの二次的な著作物のロイヤリティもテレビ局を通さずに秋元事務所に入るような仕組み」

自分では一切出資せず、リスクは他人に預けて一人勝ちできるシステム。
今では時折、マカオからプライベートジェット機が迎えに来るという。


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